考察日記シリーズ

キャッシュレス社会は資本主義の闇を映すか?

『キャッシュレス』

耳障りの良い言葉だ。フィンテック(金融技術)の進歩とともに、世界中がキャッシュレスの波に飲み込まれようとしている。

我が国は時代の潮流に乗り切れていないが、キャッシュレス化の波が瀬戸際まで来ていることは疑いない。

冒頭で、筆者は「飲み込まれる」という表現を用いたが、これはキャッシュレスやフィンテックに完全否定的であるということを意味しない。

――実際、キャッシュレス技術の登場によって、世の中は大分便利になった。

クレジットカードやICカードによって会計がスムーズになり、それによって消費は増大した。

キャッシュレス化に伴うE-コマース(ネットショップ)の発展により、消費活動がより自由になり、ネット環境を持つ全ての人があらゆる製品にアクセス可能となったのも事実である。

キャッシュレス技術によって経済は活発になった。実に、原理的な経済学を信奉する者は、この技術を大いに歓待しただろう。

しかし、この発明は全ての人類に幸福をもたらすだろうか?

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確かにキャッシュレス化という輝かしい1ページは、我々の暮らしを豊かにした。

しかしながら、それによって浮き彫りになる闇も存在するのである。

この技術は、資本主義社会における敗北者……低所得層に精神的苦痛をもたらすモノだと、筆者は考える。

ここで具体例を示すために、本日の主人公『ジェームズ』さんにご登場願おう。

舞台は2020年。在日アメリカ人のジェームズさんは30歳。年収150万円のフリーターだ。

ジェームズさんは、コンビニで買い物するとき、いつも商品の値段を見る。

時給900円のジェームズさんにとっては、全てのモノが高級品だ。

ちょっとした酒代だってバカにならない。晩酌は土曜日だけと決めているし、女の子がいる店に行ったことなんて、生涯数えて一度も無い。

ジェームズさんは、晩御飯で食べるパスタを選んでいる。今日はカルボナーラの気分だったが、ペペロンチーノの方が30円安かった。

「……んー、コレにしますかァ」

ジェームズさんが選んだのはペペロンチーノ。ルーチンワーカーにはルーチンフード。ペペロンチーノはこれで5日連続だ。

ジェームズさんは軽くため息を吐いて立ち上がる。――その時だった。

スーツ姿のサラリーマンが、突然現れてカルボナーラを持っていく。その迷い無き姿に、ジェームズさんは心の中で舌打ちした。

ジェームズさんと違って、サラリーマンは金を持っている。金を持っているゆえに、サラリーマンはカルボナーラを食べるのだ。

「ふん、ちょっと金を持っているからって、これ見よがしに持っていきますねェ」

軽く毒づいた後、ジェームズさんは気を取り直してレジへ向かう。レジでカネを払う時、ジェームズさんはこう思った。

――あと30円で、30円余分なオカネが有れば、私もカルボナーラを食べるンですがねェ。

次の日、ジェームズさんはカーディーラーを通りかかった。

ガラスの向こうでは、シックな装いの若者が高級車を買おうとしている。

そんな若者の様子を見て、ジェームズさんはこう思った。

――私にもオカネが有れば、彼と同じ車を買えるンですがねェ。

ジェームズさんは諦め混じりのため息を吐き、とぼとぼと去っていく。

2020年のジェームズさんはこう考えていた。

カネが無いからできないことが有る。この若者と自分の差はカネであると。

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20年が経った。2040年の日本でも、ジェームズさんは労働者として日々仕事にいそしんでいた。

いつものコンビニで、ジェームズさんはパスタを選ぶ。セレクトしたのはペペロンチーノ。20年経っても変わらない。

いつものを持って、ジェームズさんはレジに向かう。2040年の時代、既に現金決済は無くなっていた。

ジェームズさんはカードをリーダーにかざし、シャリンと音を立てて会計を済ませた。

瞬間、ジェームズさんの脳裏に疑問がよぎる。

なぜ、自分はペペロンチーノを買ったのか? と。

次の日、ジェームズさんはカーディーラーを通り掛かる。

ガラスの向こうでは、いつか見たような光景が広がっていた。シックな装いの若者に、初老の販売員が手を揉んでいる。

ほどなくして、若者は財布からカードを取り出し、販売員に手渡した。どうやら商談成立のようだ。

それを見たジェームズさんの頭に、ある考えが浮かび上がる。

――ワタシもカードを持っているのですが、クルマを買えるでしょうか?

しかし答えはもちろん否である。ジェームズさんのカードには軽自動車ほどの信用も無いからだ。

若者のカードなら高級車を買えるのに、ジェームズさんのカードでは軽自動車も買えないのである。

当たり前の事実を改めて認識し、ジェームズさんは眩暈を覚えた。

――あぁ、オカネが無いから買えないんじゃない。ワタシがワタシだから、ワタシは車を買えないのデスか。

できないことを『カネ』のせいにできた時代は幸せだったと、ジェームズさんは心から思った。

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以上で述べた変化を、抽象化して示す。

Ⅰ現金時代(キャッシュレス化以前)

経済力は存在と切り離され、現金という形で担保されていた。則ち、経済力は人間性(パーソナリティ)と明確に区別されていた。

Ⅱ脱現金時代(キャッシュレス化以降)

カードを始めとする金融技術によって、経済力と個人が結びつく。これによって経済力は個人と紐付けられ、パーソナリティの一部となった。

キャッシュレス化以前の世界において、我々は自分の存在と紐付いていない現金を媒体とした消費活動を行っていた。

消費は現金に基づいていたため、経済的弱者は『カネが無いこと』を逃げ道にできた。

=金持ちと自分の間には、金を持っているか持っていないかの差だけが存在していると考えられた。

しかし、キャッシュレス化が進むことによって、我々は自分の存在と結び付いた信用情報で消費活動を行うようになる。

信用情報は個人と密接に結びつき、国籍や住所と同レベルで本人のアイデンティティを形成する。

ここに至り、経済的弱者と経済的強者の間に現金という緩衝材が無くなることによって、資本主義社会における敗者達は、自分の敗北を直視することになる。

果たして、キャッシュレス化は全ての人類に幸福をもたらすだろうか?

かつては経済力と人間性が切り離されていた。
経済力が人物と一体化し、敗者は勝者を直視することになる。

私は専門家でないので詳しい事は分からないが、洗練された文明は鋭い刃となって、人の心を抉りうるものだと考えている。

以上、日記1本目でした!